こんなページまでご覧いただきありがとうございます。
フリーランスプランナーとして、今回このようなサイトを開設した理由をここに書きとめました。
その1つ目は、デジタルマーケティングのフィールドワークです。
インターネットの普及以降、広告やプロモーションの世界は常に変化し続けています。
かつて4媒体と呼ばれたマスメディアをネット広告が浸食し、勢力図が変わる、というような単純な話ではありません。
多くの人たちがリアルとヴァーチャルに二つの拠点を持ち、その両方で様々な活動を営んだり体験したりしながら行き来する時代。
私たちが生業としてきたすべての領域でも大きな変化が起こり続け、その状態は常に不安定です。
そんな中、プランナーとしても「デジタルに強い」とか「弱い」とかいう次元の会話は成立しなくなっていきます。
O2Oとかインバウンドマーケティングとかコンテンツマーケティングとかいうキーワードは一過性で陳腐化していくものかも知れませんが、それらが指す変化は劇的で本質的なものです。
広告やマーケティングの手法に大企業と中小企業の線引きがなくなってもくるでしょう。
そういった中で、オンラインを使ったコミュニケーションをどうしていくべきかについて、私もプランニングし、コンサルティングしていかなければなりません。
ですから、常に時代に即応した認識を持ち、実感をともなった提案を行っていくためには、現在進行形の環境を自分も事業者として活用し、インバウンドマーケティングやコンテンツマーケティングを実践していくことに大きな意味があるのではないかと感じたのです。
スタートとしては個人の趣味に毛が生えたような作業です。
BiNDを使い、PhotoshopやIllustratorも駆使し、コンセプトも世界観もゼロから設計してページを作ってみました。
デザインやユーザビリティはアマチュアなのでまだまだ洗練されていません。
しかし、これからはこのサイトを拠点に、事業者としての立場から様々なアプローチへと拡大していきたいと考えています。
WordPressを使ってブログを立ち上げるためにHTMLやCSSもかじりつつあります。
「いちいち自分の手で、というのは非効率的だし、もっと良い獲得のやり方もあるのでは」という向きもあるでしょうが、こうして自分の手で試行錯誤していくことでしか得られないものは大きいと思います。
例えば、こんな話があります。
私が以前住んでいたマンションの1階が、焼肉店からカフェに変わる、ということがありました。
敷地面積はそこそこあって、駅のすぐそばだから立地も悪くないですが、前の焼肉店があまりにもやる気のない営業をしていた影響もあってか、新しいカフェにもまったく客が入りません。
カフェはいろいろなアイディアを矢継ぎ早に投入しました。
まずケーキセットなどのセットメニューの看板を目立つ場所に掲げましたが、ダメでした。
すると今度は何を思ったか、「焼き魚定食」などのお食事メニューを押し始めました。
その辺の迷走を生む思想のなさに根っ子の問題があったのは間違いないでしょうが、それももちろんダメでした。
そこをさらに発展させて、店頭で弁当を販売し始めました。
売れたのかどうかわかりませんが、店内に客がほとんどいない状況は変わりませんでした。
カフェは次なる手を打ちます。
店の前に、大きなイタリア国旗を掲げました。
国旗と店の出すメニューにどれぐらいつながりがあったのかよくわかりません。
しかし信じがたいことに、その日を境に店に客があふれはじめたのです。
国旗一枚が起死回生の逆転を生んだことは間違いないように見えました。
最終的にはそのカフェが短命に終わったのはそれらの戦術うんぬん以前に宿命的なものだったと思いますが。
この摩訶不思議な「国旗事件」は、妙なパワーを持った逸話のように感じます。
このような印象的な実話を積み重ねて普遍的なマーケティングの法則を見いだすことは、とても乱暴で危険なことですが、書籍やネットで得た体系的な理論の補強剤としてはなかなか強力です。
そして、このようなリアルな経験を積んでいくことが「フィールドワーク」と呼べるような実践作業だと考えています。
それが、このサイトを立ち上げた1つ目の理由です。
そして2つ目は、当たり前過ぎる理由ですが、新しい営業ツールとしてです。
以前の勤め先から独立したのが20世紀の終わり。
自分が一人で受注から請求までこなしていた得意先については、個人としてそのまま持っていくことが許された円満退社でした。
しかし、自分から「独立したのでお仕事ください!」というようなアプローチはどこにも一切しませんでした。
それは、前所属への仁義といったものよりも、キャパシティの不安からくるものでした。
ありがたいことに、おつきあいが深かった何人かのお得意さまがそのまま発注を続けて下さったため、それらの作業をこなしていくことで精一杯という面がありました。
また、一つ一つの仕事から広がったり、ご紹介から発注をいただいたりの繰り返しで、「なりゆきまかせ」にどこからかご連絡がくるのを待つ、というやり方で事業をまわしていきました。
いわば「ひっそり開店してお客さまが来てくれるのを待っているお店」状態だったのです。
仕事が途切れるとそのたびに「これは“たまたま”ではなくて、“減り始めた”んじゃないのか?」というような不安がよぎりましたが、その不安を解消するためにどこかに「お仕事ください!」と営業をかけるのは、はばかられました。
それはやはりキャパシティの不安からです。
「ください」と言ったにもかかわらず、忙しくてこなせなかったらどうしよう... とか、「ください」と言った瞬間に人間関係のバランスが変わってしまうんじゃないか、といった漠然とした不安とか。
結局、きちんとした営業活動をし始めることができないまま、ここまで来てしまいました。
そうやってどこかから誰かが声をかけてくださるのを待ち続けていれば良いと思っているかというと、やはりそんなことは全然ないのです。
それは事業者として大きすぎる欠陥だと自覚しています。
今年・2014年、編集者の竹熊健太郎さんが「自由業の40歳の壁」という発言をして少し話題になりました。
フリーライターは40歳を超えた辺りから、仕事を発注してくる社員編集者がだんだん自分より歳下になり、仕事が減っていく。だから鬱になる、というような主旨です。
これは2015年で50歳となるフリーランスの自分にも少なからず当てはまる話なのでしょう。
5年前、10年前と今とでは、受注高の内訳に名を連ねる人の顔ぶれはまったく違います。
出世して発注セクションでなくなった人、会社をやめた人。一方で、新しく声をかけていただいて急速に頻度が増した会社もあります。
売上げ上位のベスト5(担当者単位)が年間の総額に占める割合はかなりのもので、その人たちが全員いなくなったら、とてもとても立ち行かないのは、以前も今も同じです。
にもかかわらず、これらの受注先の新陳代謝に対して何のアクションを起こすわけでもなく「なすがまま」でい続けるのはなんとも不健全です。
受け身の立場で居続けると、自分の存在位置をコントロールすることができません。
業界というものはたいがい狭いですからオフィスや道で旧知の人にバッタリ会ったりします。
そうするとバツが悪そうに「いやー、最近お願いできる案件がなくて」とか、「畑がまったく変わりまして」とか言われる方がいます。
また、前のお仕事から2年ぐらい間が空いたためか、妙に申し訳なさそうに新規の連絡をくださる方がいます。
こちらとしては、懐かしい思いはあっても「この人、薄情なんだよな」なんて気持ちはみじんも抱きません。
というか、数年に一回思い出したようにお仕事をくださる方がたくさんいるというのが、とても大事なことなのです。
プランナーだってロングテールです。
「今度相談したいことがあります」とか「来週あたりお仕事お願いします」と話があって、その後音信不通、などということがあっても、負い目を感じないでケロッとしていてほしいな、と感じます。
「今度」の話が本当にあることの方がむしろレアケースなのですから。
そんな「気まずい感じ」は、それはまだ微笑ましいレベルの話でしょう。
深刻なのはいわば「目に見えないものは存在しない」という人間の感覚です。
長らく一緒に仕事をしていない、目の前に現れていない人が、「まだどこかで元気に仕事をしている」ということって想像しにくくなってきます。
私自身、ご無沙汰している人たちに対してそんな感覚がありますから、私がまだプランナーを続けているという想像がリアルにできないに違いない方も少なくないはずだと思うのです。
実際に「あの… まだプランナーでいらっしゃいますか?」などという電話がかかってくるのです。
発注が何年もないのはご縁だから仕方ないにしても、その人の脳内で印象が干からびていくのはなんとかしなければいけません。
これを緩和してくれるのがFacebookなどの実名SNSでした。
いろんな人たちと旧交を温めることができて、人間関係が再構築できる手応えも感じました。
しかし、ご多分にもれずここ最近はFacebookからも半ば脱落気味です。
仕事関係もプライベートも親戚も同級生も入り乱れる中で「この人とこの人をバランスよく扱わなければいけない」とか配慮しながら「いいね」を贈答品のようにやりとりすることに疲れてしまったのです。
それでも、これからもめまぐるしく変化していくに違いないWebの世界で、置いて行かれることなく居場所を確立し続けなければいけません。
FacebookもTwitterもブログもLinkedInも、PinterestやTumblerも上手に使っていくべきでしょう。
何しろ、このまま60歳、70歳まで暮らしていくためには、プランナーという職能と社会のニーズをマッチングさせ続けなければならないですから。
そういった中で、ホームページをきちんと立ち上げたというのは、大変遅ればせながらですが、いち事業者としての基本的な看板をしっかり立てた、ということでもあります。
このサイトがこのかたちでオープンしている限りは、フリーランスとして仕事を続けているのだ、という(依然受け身ではありますが)ことだと思って下さい。
そして、サイトを訪れてくださったとしてもあまり開かれる機会がないように設計したこのページで、ささやかながら初めて声をあげたいと思います。
「みなさま、お仕事お待ちしています」
アマノイチロウ
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